代表メッセージ

「人と人との出会い・絆を大切にし、共に成長していく」
それが電髪倶楽部です。
お客様も人、スタッフも人、もちろん私(わたくし)も人
そんな三者が、電髪倶楽部という空間を通してより良い絆を深められれば・・・
美容室というと、とりわけ技術ばかりが取り沙汰されますが、もちろん技術の良し悪しは大切・・・
ただ、それだけが美容師本来の姿であるべきなのでしょうか?
「毛先1センチだけカットして下さい」というお客様の注文の裏側にどんな心境があるのか?
『毛先1センチ!されど1センチ!』そんなお客様の心を理解した上でハサミを開けられるスタッフであり、電髪倶楽部でありたい。
そしてお客さまにとっても、気兼ねなく足を運べる店でありたい。
その為に、今後も私(わたくし)の全身・全霊をかけて、スタッフ教育をしていく所存であります。
江戸時代、『髪結床』から始まった美容業界の良き歴史を正しく後世につたえてゆくために・・・
代表取締役
電髪倶楽部 名前の由来
その昔、美容業といえば、髪結いという職人のことでした。
一時は、徳川吉宗によって髪結いが禁止されたこともありましたが、時代の発展、新しい髪型、服装、新しい生き方を求める女性たちの支持によって、完全に消滅する事なく、その文化は、断髪から散髪、整髪から風髪、そして染髪、電髪と進化を遂げてきました。
近年、美容師は、社会的地位も高まり、メディアなどにも取り上げられ、美容業としての進歩と、発展は極めて目覚ましいものがあります。
これは、美容界の先達者たちの長い忍耐・情熱・努力があったからです。
その先達者の努力を忘れず、日々進歩、進化していけるよう電髪という名を受け継ぎました。
企業理念

電髪的文化
電髪的文化とはいつでもBACK STAGEから創造される作品を求めてもらうこと。
決して妥協なく、容赦なく芸術を求め、BACK STAGE ARTISTとして一つの作品を作成し、未完のものとする。
世の中に完全なるものなどありはしない。
未完ほど芸術性の高い美はない。
世の流れにのることもなく、背くこともなく、お客様が求め、本当にその人に合った作品を創造する。
それがBACK STAGE ARTISTとしての役目だと、私たちは考えます。
お客様の持つ素材を第一に・・・
HISTORY
1988年12月 |
「電髪倶楽部」OPEN〜電髪倶楽部の原点〜 |
1997年4月 |
「電髪倶楽部 street」OPEN〜俺たちの人生〜 |
1999年3月 |
美・コレクションヘアーショー in 大宮ソニック初の電髪倶楽部ライブショー チケット即完売 750名動員 |
1999年8月 |
「テレビ東京で紹介」八木橋タイアップ、電髪倶楽部代表撮影 |
1999年10月 |
「ファイブ・ドアーズ」Nack5ナオミグレースと美をテーマにしたラジオ番組で6カ月間のレギュラー出演 |
2000年3月 |
ヘアーショー in 八木橋カトレアホールにて開催 500名動員 |
2001年4月 |
「電髪倶楽部 Zest」OPEN〜電髪の熱意〜 |
2002年6月 |
「アジアビューティーエキスポ in 横浜」初出演で電髪パーマを熱演 |
2003年6月 |
「電髪倶楽部 自然」OPEN〜電髪は電髪・己は己〜 |
2004年5月 |
アグレックス ヘアショーコンテスト in 六本木1500人の観客から審査され1000票以上の評価を得て”グランプリと審査員特別賞のダブル受賞 |
2006年8月 |
接客士を立ち上げる
|
2006年10月 |
「電髪倶楽部 美膳」OPEN〜電髪的美のおもてなし〜 |
2010年7月 |
デンパツジャンベ隊パレード「あついぞ熊谷を盛り上げよう」をテーマにうちわ祭りにて行進 |
2010年8月 |
「電髪倶楽部 Chanty 〜NAIL & BODYMAKE〜」OPEN〜電髪倶楽部全てのお客様へ感謝の気持ち〜 |
2014年6月 |
トータルビューティサロン「電髪倶楽部Room」Open〜すべての美がここにある〜 |
2015年5月 |
「NEWLAND」にて体験会を開催複合商業施設「NEWLAND」にて毛髪・頭皮診断体験会を実地。 |
2015年7月 |
『平田クリニック』にて講義内科・小児科・産科・婦人科『平田クリニック』にて |
2016年3月 |
資生堂プロフェッショナル ビューティーコングレス出演アジア各国から美容師が集まる『資生堂プロフェッショナル ビューティーコングレス2016』にて |
2017年2月 |
「電髪倶楽部 Chanty 〜NAIL & BODYMAKE〜」移転「電髪倶楽部 Chanty 〜NAIL & BODYMAKE〜」を「Room」の2階に移転 |